醜悪なるデザインを世の中から駆逐し、美しいものこそ人々の生活に提供するのだ !
理想を同じくする仲間たちと共にモリスの闘いがはじまる
モリス・マーシャル・フォークナー商会の名が社会的に知られるようになるのは1862年の第2回万国博覧会がきっかけでした。モリスたちは中世風の家具や刺繍、ステンドグラスなどを出品し大好評を博します。そして4年後にセントジェイムズ教会とサウスケイジント博物館の内装の仕事を手がけます、これで商会は完全に社的認知を得ます。
商会の提供する商品の基本コンセプトは手づくりです。モリスがなぜ手仕事にこだわったのかというとひとつには労働本来の喜びがあると信じたからです、と同時に機械を使うより圧倒的に美しくて良いものができるからでした。これがモリスの論理なのですネ。もし機械のほうがより美しいものを作り出すということであれば彼は迷わず手づくりではなく機械を選んだと思います。
モリスの美意識がこれほど繁栄した商会に突然大事件が起こります。
商会の経営も順調になってきた矢先モリスは商会を単独経営にしたいと言いだします。
単独経営にしたいと言いだしたモリスの最大の理由は商会への貢献度にはなはだしい格差が生じていた事があります。疲れを知らぬ圧倒的なパワーでモリスは商会を取り仕切っており年俸も他のメンバーと変わりありませんでした。それにしても他のメンバーにして見れば軌道にのりこれからという時にどうして我々を排除するのだという気持ちが強く結果裁判沙汰になりかねない程、事は紛糾しますが解決策としてモリスはひとりひとりに補償金を支払う事で決着します。
再スタートした商会は事業拡大に伴い1881年6月マートン・アビーの工場を開設します。それは2万8000平方メートルという広大な敷地に100名あまりの職人を雇い入れた大規模な工房でした。そこでモリスは忙しく飛びまわります、しかしそんなタフなモリスにも悩みがありました。それはいいモノを作ろうとすれぱ必然的に高くなってしまうことです。モリスが理想とした誰にでも手に入れることのできる低価格なモノにはならなかったのです、やがてモリスは生活を美化する前に社会そのものを根本的に改革しなければならないと考えるようになります、後の社主義者モリスの誕生のきっかけになります。
ところでジェーンとの結婚はどうなっているのでしょう?
次回はその辺のお話をしてみます。
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